拓殖大学関連の刊行物
『富士塚考 ― 江戸高田富士 築造の謎を解く』 竹谷 靱負(拓殖大学名誉教授)著者
現存する富士塚の大多数は、富士講徒によって築造された塚である。つまり、富士講徒による富士塚の劈頭を飾る安永8年築造の高田富士以降の塚がほとんどである。富士講研究者は、日行青山(高田藤四郎)発案の富士山の正写しの富士塚をいわゆる「富士塚」と定義し、それ以前の富士塚を「富士塚」の定義から除外してきた。
安永8年以降の富士塚の歴史を「富士塚史」と称するとすると、安永8年以前の富士塚の歴史は「富士塚前史」と言えよう。従来から数多く研究されてきた富士塚史に対して、富士塚前史は十分に考証されていない。
そこで本書では、富士塚前史について考察した。また、富士塚史の劈頭を飾る高田富士を築造した日行青山に焦点を当て、富士講の歴史における東身禄山(高田富士)の意義を吟味した。富士講中興の祖・身禄の「お先状」を精査した結果、身禄の「いせ川上しミツ村へは西身禄山、江戸表は東身禄山と名付可申との御伝ゑ」に求めた日行青山の心願を闡明した。(本書「あとがき」より)
出版社 / 発行
岩田書院/2009年9月26日
著者
竹谷 靱負(たけや ゆきえ)
1941年東京生まれ。拓殖大学名誉教授。早大修士課程修了。理学博士。富士山学研究所 主宰。富士山文化研究会 会長。NPO富士山自然文化情報センター 理事長。富士学会 理事。富士吉田市 すその路郷土研究会 名誉顧問。主著に『富士山の祭神論』『富士山の精神史―なぜ富士山を三峰に描くのか』(日本図書館協会選定図書) “Structure Analysis Methods for Instruction: Instructional Architecture, Design and Evaluation” 『新・テスト理論―教育情報の構造分析法』。
掲載日:2009年09月26日