拓殖大学関連の刊行物
『富士塚考・続 ― 富士祭の「麦藁蛇」発祥の謎を解く』 竹谷靱負(拓殖大学名誉教授)著
江戸後期以降、富士講が殷盛を極めると、江戸(東京)とその周辺で300基を上回る富士塚が築造された。高田富士をもって富士塚の嚆矢とするが、築造者・藤四郎が富士塚を築造した真意を闡明し、先に『富士塚考―江戸高田富士 築造の謎を解く』を上梓した。本書はその続編である。
富士塚(浅間神社・富士神社)で土産物として売られている縁起物の麦藁蛇―小枝に飾られた降龍の麦藁蛇―。各富士塚や神社の由緒書きでは、発祥の時期は宝永期(1704~11)、発祥地と発案者は駒込の百姓・喜八、効能は疫病除けとされ、それが通説となっている。本書では、それ以前より存在していた原型の麦藁蛇―竹飾りされた昇龍の麦藁蛇―に注目し、通説の宝永期起源説や効能について疑問を呈す。
そして、発祥は延宝期(1673~81)まで遡り、効能は出世祈願のためであったことを明らかにする。本家の富士山と同様に、富士祭でも若衆が近場の水道で水垢離した後、地元の浅間神社界隈の床店で麦藁蛇を買い求め、しかる後に境内の富士塚に参詣し、肩にかけて持ち帰り家に飾って出世祈願した。「富士越龍」の心延えが真相であることを導き出す。
出版社 / 発行
岩田書院 / 2010 年9月
著者
竹谷 靱負(たけや ゆきえ)
1941年東京生まれ。拓殖大学名誉教授。早大修士課程修了。理学博士。富士山学研究所 主宰。富士山文化研究会 会長。NPO富士山自然文化情報センター 理事長。富士学会 理事。富士吉田市 すその路郷土研究会 名誉顧問。単著に『富士塚考―江戸高田富士 築造の謎を解く』『富士山の祭神論』『富士山の精神史―なぜ富士山を三峰に描くのか』(日本図書館協会選定図書)共著に『富士山と日本人』ほか。
掲載日:2010年09月01日