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『富士山と女人禁制』 竹谷靱負(拓殖大学名誉教授)著

富士山と女人禁制富士山は、古代よりより中世までは修験者のみが登攀する霊山であった。一般に、霊山には聖なる領域と俗なる領域を分ける、いわゆる結界の場があった。

特に、霊山は女人禁制であったために、「女人結界の場」が存在していた。江戸期になっても、他の霊山と同様、富士山も女人禁制であり続けてきた。

富士山の登山道では、明治5年まで女人禁制は続き「女人結界の場」が夫々存在していた。富士女人登山史を紐解くと、「女人結界の場」を越えて登拝する女性がいたことがわかる。

女人禁制を打ち破ろうとする力学は、女性信者が多かった民間信仰の富士講による働きが大きい。女性も男性同様に直接霊地を訪ね参拝したいという願望が強かったからである。

参拝者の増加を見込む富士山御師は、孝安天皇92年(紀元前301年)の庚申年に富士山が突如出現したという伝説を理由に、60年に一度廻ってくる庚申年を御縁年と称して、女人登山の緩和を画策し支援した。

他方、その緩和策に逆行する力学が、富士山麓住民から働く。それは、女人は罪業深く穢れており、入峰すると山が荒れ不作となるという伝承が根底にあったからである。富士女人登山史は「女人結界の場」をめぐる両者の闘争史で、本書ではその歴史を編年体で順次論じている。

 

出版社 / 発行

岩田書院 / 2011年6月20日

 

著者紹介

竹谷靱負竹谷靱負(たけや・ゆきえ)
1941年東京生まれ。拓殖大学名誉教授。早大修士課程修了。理学博士。富士山文化研究会 会長。富士学会 理事ほか。著書に『富士塚考―江戸高田富士 築造の謎を解く』『富士塚考・続 ― 富士祭の「麦藁蛇」発祥の謎を解く』『富士山の祭神論』『富士山の精神史―なぜ富士山を三峰に描くのか』(日本図書館協会選定図書)ほか。

 

掲載日:2011年06月20日

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