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インドで活躍する卒業生たち(2)

 

会社の現地スタッフをヒンディー語で指導しています

山田明美さん (国際開発学部 アジア太平洋学科2004年卒)

進路について悩んでいた高校生の時、拓大に国際開発学部(現・国際学部)が設置され、途上国の開発を支援する人材を育成すると知り、一期生として入学しました。第二外国語にヒンディー語を選択した理由は特になく、ただ模様のような文字で面白そうだったからです。昔から他人と違うことをするのが好きな性格で、珍しさからでしょうか。ヒンディー語を履修したことが、私がインドと関わることになったスタート地点ですが、その時は、それが自分の人生を左右することになるとは全く思ってもいませんでした。

大学2年の夏、「個人研修奨学金」を得て、初めての海外、インドを訪れました。自分で一から計画を立て現地で語学研修をするという少し無謀でもある旅は、自分の人生観を大きく変え、今に繋がるきっかけとなりました。もっとインドを知りたい、また行きたいという気持ちを抑えられず、大学3年時は南インド農村へ、4年時は卒論調査で北インド農村を訪れ、多種多様なインドを体験。在学中はインド・パキスタン研究会にも所属。脚本・翻訳・主演とヒンディー語で「語劇祭」にも挑戦しました。本当に充実して楽しい大学生活でした。

インド祝日ディパワリー(会社でランゴリーをつくり、サリーを着てお祝い) スタッフと集合写真
インド祝日ディパワリー(会社でランゴリーをつくり、サリーを着てお 祝い)スタッフと集合写真

卒業後、ヒンディー語をもっと磨きたい、もっとインドを知りたいという思いで、首都デリーにあるインド政府中央ヒンディー語学院に留学。インド人の友人のつてで、デリー郊外の村の7人家族の家に居候することになり、一つ屋根の下、生活を共にしました。

電気も水もままならぬ生活。トイレに行くたびポンプで水汲み。電気の供給が悪く、日があるうちに勉強をし、太陽と共に起きて寝る生活。屋根の上に茣蓙を敷いて家族みんなで並んで、星を眺めながら寝ていました。毎日子どもたちが学校であった出来事を質問攻め。話さずにはいられない環境のお蔭で、私は他のクラスメイトより早く生きたヒンディー語を習得することができ、ついでインド料理も覚えました。

留学した1年は、経済的な豊かさよりも、心の豊かさこそが本当の豊かさなのではないかと、その言葉を考えさせられた1年でもありました。また、不便さは、どう生活しようかと、人間の頭を使わせるということも思い知りました。

帰国後は自分の学んだことを生かせる仕事をと、当時インドへ新規に進出計画を立てていた繊維関係の日系の検品会社(株)ファッションクロスフルシマへ就職。数ヶ月の日本本社での勤務を経て、首都デリー近郊のグルガオン工場立上げ時に赴任となり、今年8年目となります。品質管理担当として働いています。

工場の工員はヒンディー語しか話せないスタッフがほとんどのため、社内の公用語はヒンディー語となっており、1日の90%はヒンディー語を使用しています。仕事内容、品質基準などの説明にヒンディー語は必須です。言葉の問題だけでなく、一般の工員の中には基礎教育レベルが低く、理解力が乏しいスタッフも多くいます。説明はできるだけ難しい言葉を避け、写真や図を使いながらの簡単なわかりやすい説明を心がけています。

学んで得たことは自分を豊かにしてくれる一生の財産です。学び成長することの喜びを知って欲しい、と願っています。スタッフが技術を身に着け成長できるよう、喜怒哀楽の激しいインド人スタッフから元気をもらいながら日々奮闘しています。

検品現場にて品質確認 現場にて品質基準判断
検品現場にて品質確認現場にて品質基準判断

 

 

掲載日:2012年10月17日

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